1990-06-20 第118回国会 衆議院 法務委員会 第10号
どのくらいの方が流入したのかということについては余り調査も進んでないようでございますけれども、例えば坪江豊吉さんという方が、この方は公安調査庁などにおられた方のようですけれども、各種官庁資料によってまとめられた表がございます。
どのくらいの方が流入したのかということについては余り調査も進んでないようでございますけれども、例えば坪江豊吉さんという方が、この方は公安調査庁などにおられた方のようですけれども、各種官庁資料によってまとめられた表がございます。
城地君は、昭和二年七月、東京墨田区で父豊吉さん、母かよさんの四人兄弟妹の長男としてお生まれになりました。 昭和四年、ニューヨーク・ウォール街に端を発した世界大恐慌の影響で、我が国は不景気のどん底に陥り、街には失業者があふれておりました。
ただ「じゅん刊世界と日本」というこの本で、「核燃料の再処理」というところで野沢豊吉さんという方がそういうことを提起をしているんでありますから、私としてはやっぱりこれは大変な問題だなといって重大な関心を持たざるを得ない。でありますから、大臣はどうぞ御自由に、そんなことは。
たとえば毎日新聞の三月十日の記事を見ますと、理学博士で東京工大教授の野沢豊吉先生が「発言」というところで書いおられるのですね。それを見ると、全部読みますと長くなりますので、その一部を読みますと、「西独の核武装を警戒して過去二〇年積み上げられたユーラトムの域内査察のレベルに日本が追い付くには早くて一〇年が必要である。
御坊には、私の哲学の先生で田渕豊吉という偉い人がある。あなたはそれをせんじて飲みなさいよ。田渕豊吉は奇人だ、気違いだと言われながらも、若き日に田中正造に会って、そうしてあの晩年の風貌もそうですが、何が正しいか、真実を求めて彼は孤立無縁でも国会で戦った。
それで中原の局で森豊吉さんという庶務会計課の課長補佐の方がおいでになりますが、この方が朝やってきて六時五十分事務所に着いた。それから局内を歩いたら、休憩室でビラ張っていたのがいたというのです。春闘だもの、ビラぐらい張りますよ。休憩室に張るのだから。それで注意した。その注意したやりとりがここにあるのですが、鈴木君、やめなさい、佐藤君やめなさい、こうやっておる。
私の調査では、メジロムサシの馬主の北野豊吉さんは、出走前に何度も、馬の状態がおかしいので、ファンの迷惑を考え、また馬がかわいそうだから、ひとつ出馬を取りやめさしてくれということを中西開催委員長に申し出ておられました。しかしこれが認められなかったという事実があるわけであります。しかもメジロムサシと同じ輸送車で運ばれた三頭の馬は高熱のために出走をさせられていない。
きょうは私のほかに、現在の産業常任委員長であります鈴木甚三郎、並びに当時加工団地の理事といたしましてこの問題と現実に取り組んだ人、そして今度新たに議員になりました加藤豊吉議員が来ております。それに前回の、この問題を取り上げるために相当また議員の立場で苦しみました前産業委員長の瀬戸盛雄議員が来ております。なお財政問題につきまして担当しております総務教育の委員長早坂鉄郎議員が来ております。
何か相当強力な反対があって、どうもそこまでいかなかったという中身のようなんでありますが、野沢豊吉さんという東京工大の教授の方の御意見があった。そこで皆さんの党の内部からもいろいろ相当強力な意見が出てきた。
これは「化学構造と生理作用」という、薬業界ではバイブルといわれるような高瀬豊吉先生の本でございますけれども、アセトアニリドというものは、「その作用はアンチヘブリンよりも強く、毒性もまたしたがって強く、一日一・〇グラム以上を内服するときは普通中毒症状があらわれ、特にメトヘモグロビンを形成するゆえに常用すべきものではない。」こう完全に書かれております。「通常四から十グラムの内服によって死に来す。」
吉田善次郎君 説明員 警察庁警備局警 備課長 赤木 泰二君 運輸省航空局技 術部長 金井 洋君 参考人 日本航空株式会 社航務本部管理 部長 茂呂 豊君 日本航空株式会 社航務本部運送 部長 野村 豊吉君
○参考人(野村豊吉君) 私からお答え申し上げます。 御承知のように、飛行機にお乗りになる場合に、電話でもって座席の予約を承るわけです。その際に、お名前と、それから電話番号、それから必要に応じては住所、こういうものを電話で承るわけです。
日航機乗っ取り事件に関する調査のため、本日、日本航空株式会社航務本部管理部長茂呂豊君、同運送部長野村豊吉君の両名を参考人として出、席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○戸叶武君 構造改善事業の中でも、土地基盤の整備事業というものにウエートがかかっており、またこの対策は、平場農村においてそれがおもに行なわれているという御説明ですが、私は年少の時代に、大正末期の農業恐慌の時代、国会で自作農創設が問題になったときの下岡忠治氏、田淵豊吉氏なりの演説を記憶しておりますが、そのときに、すでに農業問題というものが平面的なとらえ方でなくて、平野農村の問題、山村、漁村の問題それらの
○戸叶武君 この農業政策を進める上において非常にむずかしい点は、農村とは何ぞや、農業とは何ぞやという堀り下げ方でありまして、政府としては、西ドイツにならってグリーン・レポートとグリーン・プランによってこの対策を打ち出そうとしておるのだと思いますが、大正末期の自作農制定の際の論議の際に、田淵豊吉氏が、平野、農村、漁村、山村おのおのみな構造的に違っておるのだから、抽象的なばく然とした農業政策というものでは
れておかないと、今の経済局長のところだけでとどまっていると、いつまでも踏ん抜けないから、ひとつ大臣は、農協のあり方に対して——農協のあり方より、農協のボス組織に対して、私たちは憤りを持つのでありまして、今後の農協をどうするかの問題に対しては、日本の農協の実態からいたしまして——昔、私は、大正まだ中期と思いましたが、私らが、まだ子供の時分ですけれども、国会を傍聴したときに、下岡忠治さん、それから田淵豊吉
出席政府委員 外務事務官 (アジア局長) 伊關佑二郎君 水産庁長官 西村健次郎君 海上保安庁長官 林 坦君 委員外の出席者 防衛庁書記官 (防衛局第一課 長) 栃内 一彦君 外務事務官 (アジア局北東 アジア課長) 中川 豊吉君
千仭君 水産庁次長 高橋 泰彦君 小委員外の出席者 農林水産委員 中馬 辰猪君 農林水産委員 丹羽 兵助君 総理府事務官 (経済企画庁調 整局水質調査課 長) 森 一衛君 外務事務官 (アジア局北東 アジア課長) 中川 豊吉君
農林政務次官 小枝 一雄君 農林政務次官 大野 市郎君 農林事務官 (畜産局長) 安田善一郎君 水産庁長官 西村健次郎君 水産庁次長 高橋 泰彦君 海上保安庁長官 林 坦君 委員外の出席者 外務事務官 (アジア局北東 アジア課長) 中川 豊吉君
警備第二課長) 中村 正巳君 法務事務官 (入国管理局 長) 勝野 康助君 検 事 (入国管理局次 長) 近藤 忠雄君 公安調査庁次長 関 之君 外務事務官 (アジア局北東 アジア課長) 中川 豊吉君